筆者は、私の一番好きな作家である、さくらももこさん。
本書は、息子さんを妊娠してから出産に至るまでの様々な出来事や心情を、彼女ならではの面白おかしい語り口でまとめた一冊です。
同じ筆者の短編エッセイ集である「もものかんづめ」等とは違い、一冊を通して時系列の一貫した話ですが、章ごとに読みやすい長さにまとまっており、途中からパラっと読んでも楽しめます。
個人的には、デタラメな基礎体温表を書きながら妊活する話と、一章をまるまる使って便秘と格闘する話が好きです!
妊娠・出産に関わる人も、そうでない人も楽しめる一冊
さくらももこさんのエッセイが好きすぎて、定期的に読み返している私。
本書を最初に読んだのは学生時代。
彼女らしい左右対称の構図にゴールドのラインまであしらわれた、思わずディスプレイラックに飾りたくなるような単行本の表紙に一目ぼれして購入した記憶がありますが、その表紙からは内容がまったく想像つきません。
その後、社会人になってから、結婚してから、不妊治療中、そして妊娠中の現在と、妊娠・出産という事象からはるか遠くにいた時期から現在まで、繰り返し読んできました。
最近読み返して気づいたのが、本書は「妊婦になってから読むとさらに面白い!」というわけではなく、どのタイミングで読んでも同じように面白いということ。
さらに、読み終えたときに毎回、心がスッと軽くなります。
今回はその理由について、考えてみました。
・ただ「聞いてほしい」という姿勢
妊婦になってから、さまざまな方の妊娠に関するエッセイや漫画を読みました。
読んでいて面白いのは、ちょっとしたエピソードに「あるある!」と共感できること。
しかし本書は、そういった共感という感覚とはちょっと違う気がするのです。
それは、筆者のももこさん自身が、読者に「あるある!」を求めていないからではないでしょうか。
彼女の、共感を求めるのでも、また教訓を示すのでもなく、ただ起きた出来事を聞いてほしいというスタンスは、エッセイの終わりにも書かれています。
私はこのエッセイを、出産を勧めるために書いたのではなく、また勧めないために書いたのでもない。ましてや何かの参考にしてほしいと思ったわけでもない。
さくらももこ「そういうふうにできている」p.179
ただ単に、”妊娠・出産”という私の身にふりかかった珍奇で神秘的な出来事を皆様に聞いていただきたかっただけである。
本書は一貫してこのような姿勢で語られているため、妊娠・出産というイベントに興味がなくても、ただただ人の面白い話を聞くような感覚で楽しく読めるのだと思います。
・どちらに転んでも楽しもうとする、自然体の考え方
私は、不妊治療がうまく進まず悩んでいた頃、妊娠・出産に関するあらゆるメディアのエピソードをシャットアウトしがちでした。
そんな時期でも本書に対しては、拒絶反応を示すことがありませんでした。
筆者のももこさんは、子供を持つということについて、このように述べているのです。
子供を持たぬ人生も、持った人生もどちらも面白そうだと思うが、両方いっぺんに体験する事はできないので仕方がない。私は持つ方を選び、幸い子供に恵まれた。だからこの方向でじっくり楽しんでみようと思っている。
さくらももこ「そういうふうにできている」p.176
ここで感じるのは、どんな読者にも寄り添おうとしてこういった記述をしているわけではなく、あくまでこれは彼女の自然体の考え方なのだということ。
このように「どちらに転んでも楽しもう」とするももこさんのスタンスは、本書の他の場面でも見られます。
産後、仕事を続けられるか、続けられなくなるか。
自然分娩でのお産となるか、帝王切開となるか。
妊娠・出産という一大イベントにともない、エッセイの中でも色々な不安を抱くことになるのですが、最終的には「どちらに転んでも楽しもう」という境地となり、ワクワクを膨らませる様子が描かれています。
決して読者に「ポジティブに行きましょう!」というメッセージを発しているわけではないのですが、随所に見られるももこさんのこういった考え方が、読むたびに私の心を軽くしてくれるのでしょう。
世の中のあらゆることが「そういうふうにできている」
本書の題名について、筆者のももこさんは、妊娠・出産を経て「そういうふうにできているんだなあ」と感じることが多くあった事から思いついたと述べています。
妊娠・出産のみならず、「そういうふうにできている」ことは、日常の中にも見つけられるような気がします。
ちょっと重荷に感じていることや、目の前の乗り越えないといけないものに対して、ああこれも「そういうふうにできている」のかと納得し、肯定することで、少し気持ちが軽くなるかもしれません。
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